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マドリードのゲイバーにて

 ショック! ショック! ショック!
 これ以上だと著作権承諾が必要なのでここまでにしておくが、とりあえずショックなのである。何がショックなのかというと、ピンクレディーの振り付けをしていてもまったく誰にも見向きされないのだ。嫌われているというよりも、存在感が無い。まさしく、透明人間、現る現るである。
 そんな無職中年日本人の透明人間が現れてしまったのは、HOTという熊系バー。皮肉にも、店名に反して私の周りだけ氷点下のブリザードが吹雪いている。

 

 マドリード初日。まったくモテなかったサウナからゲイタウンのチュエカの宿に戻り、股間用キンチョールとともに買った1ユーロのスペインワインを泣きじゃくりながらちびちび飲んでいると、酔いとともに弱った気分が復活してきた。わざわざスペインまで来てるんだから、サウナでモテなくて安酒をあおりながら引きこもるなどという、いつも日本の赤羽でやってることと同じことやってても、意味なくね? またひどい目にあってもそれはそれで人生経験じゃね?
 人生経験。私はひどい体験をするたびに呪文のようにこの言葉を唱えるが、そのような経験をしても中年ゆえ、もう成長の余地など残されていないことにはあくまで目をつぶっている。
 「人生経験! 人生経験!」
 叫びながら宿を飛び出した私は、一瞬にしてマドリードゲイシーンのど真ん中に放り出された。おりしも土曜日の夜11時というプライムタイム。ラガシャツ・短パン・坊主・ヒゲといった無数のイカホモ軍団に囲まれ、先ほどの勢いは一瞬にして鎮火。交尾中に冷水をぶっ掛けられた野良犬のようにブルブル震え、夜のチュエカを恐怖で数ミリリットルほど失禁した内股で進んでいったのであった。
 ちなみにスペインだが、全般に時計が3時間ほどずれている。時差の話ではなくて、生活時間帯が遅いのだ。例えば昼のレストランが開くのは早くて1時で、昼飯タイムはだいたい2時から4時。夕飯は9時から深夜12時といったところだ。だもんで週末の11時だとまだまだ宵の口という感じ。といっても朝は普通にみんな出勤しているので、いったいいつ眠っているのかと思うのだが、そうするとシエスタ(午睡)というスペイン特有の風習が納得できるのであった。

 

 さて、どこに足を運ぶか。事前に調べたところ、ここチュエカに熊系バーは二軒ある。ひとつはその名もBEARS BARといい、小ぢんまりとしていてスタッフが優しく迎えてくれるという評判だ。もうひとつはHOT。わりと大規模で、地下にはクルージングスペースもあるという。即座にHOTに行くことにした。ハッテン空間に心奪われたというわけではない。優しいスタッフのいる小ぢんまりとしたアットホームなバー。そんなもん、モテなくて現地語がしゃべれないブスぼっち東洋人には単に胃が痛くなるだけである。友達ゼロの自分を可哀想に思って声をかけてくれたクラスの人気者に混じって弁当を食べた小学校の遠足と同じレベルの拷問に違いない。って、頼むからマドリードゲイシーンはこれ以上ボクの学生時代のトラウマを呼び起こさないで!

 

 そのHOTはあらかじめ昼間に場所を確認しておいた。チュエカの目立つ通りに面してわかりやすい。イカホモの群れにビクビクしながらそこを再び目指した私は固まった。イカホモの中でもさらに厳選された、ファンシーヤクザのようなイカホモ中のイカホモ数名がまるでドアマンのように店の前で固まり談笑しているのである。恐怖のあまり、さらに数デシリットルほど失禁した。この状況は、自意識過剰気味のロンリー異国人ブスには拷問以外の何物でもない。

「人生経験!」あまりのプレッシャーにきびすを返して宿に直帰しようと思ったが、意を決していつもの呪文を絶叫し、清水の舞台から投身自殺する勢いで息を止めて店内に突入。未だにいちいち自分を鼓舞しなければゲイバーに入れない私だが、燃え盛る火災現場に突入する消防士の気分になるのは初めてだ。

 

 ベア系ナイトの告知ポスターに囲まれたドアを開ける。店内は30畳ほどか。広いが、海外のバーでは広すぎるほどではない。驚くのは人の多さ。100人ほどいるんじゃなかろうか。土曜のこの時間帯はやはり混み混みなのだ。客の体型の太ましさも加わって、動く余地がないほどギッチリだ。カウンターが遠い。この人口密度ならたぶん飲み物注文しなくてもすみっこで素知らぬ顔をして居られそうな気がするが、いちおうカウンターまで肉の海を泳いでいく。
「セルベッサ・ポルファボール」
 スペイン語でビール・プリーズという意味の言葉をかける。4ユーロ。思ったより安い。ガッチリイケメン店員が無言で小瓶を渡してくれる。カウンター内の壁に貼られたスペイン語をわずかな知識で訳すると、日付が変わるまではハッピーアワーで、一杯目のレシートと引き換えにもう一杯同じドリンクがいただけるらしい。恐怖と緊張で最初の瓶を一気に飲み干してレシートを渡すと、確かに同じビールを手渡された。
 先ほどのワインとの相乗効果で多少緊張がほぐれ、客を見る。入った直後は、イケメン熊ばかり! ブスは生きる価値が無いと言うの! などと壁に向かってブツブツつぶやいていたが、落ち着いてみると、確かに半数は上レベルのファンシーヤクザだが、残り半数はブス、もとい、普通っぽい人々である。しかしながらみんな仲間内でワイワイと談笑していて、スペイン語がおぼつかない私は何もすることができない。もちろん、向こうから声がかかることもない。
 道端で立小便するときについ電信柱や壁を探してしまうように、まったく無力の私は必死にカウンターにしがみついていた。セルベッサ・ポルファボール以外の言葉をスタッフと交わすこともないが、とりあえずカウンターに寄りかかっているうちは客として存在可能。しかし、ドリンクを求める客が次から次へと来て、それに押し出される形で私はナチュラルにカウンターの端からトイレの前に移動した……。


 ある意味すごく落ち着く位置で改めて場内を見回すと、ひとつのことに気付かされる。
 理想的な素晴らしいイケメン熊がいる。ジャンルとしては熊の範疇に入るが、中の下といった微妙なヒゲデブもいる。そして、自分含めてブスもいる。ジャンル的には熊や親父主体ながらも様々な男がいるこの場所で、目を惹かれるイケメンは同じくイケメンと談笑している。微妙熊は微妙熊と。そして、ブスはブスと一緒につるんでいるのだった……。
 ブスにしか手を出されなかったサウナに引き続き、初日にして私は思い知った。イカホモ濃度は上野や二丁目や中野以上、ゲイシーンが成熟して華やかなマドリードは、東京の新宿区や台東区と比べても負けない、強固なホモ・カースト制度が確立しているのだ。
 そこで私は今のところ、冒頭のような透明人間と化していたのである。せめて遠足の弁当でイジメられっ子グループが固まるように、ブスとしてブス・グループに受け入れられてもらいたいのだが、言葉もわからない一人の東洋人はまったく相手にされない。今なら窃盗、強姦、失禁などしても気付かれないのではなかろうか(失禁はすでにしてるけど)。小さい頃、「もしも透明人間になれたら……」なんて想像をしたこと、読者のみんなにはないかな? そんな幼い頃の夢が、今現実に! 夢をかなえたい人は、マドリードのゲイバーに来るといいよ!(ブス限定)
「ちょっとどいてくれない?」ピンクレディーを踊っていると、トイレに行きたそうな微妙熊にたぶんスペイン語で声をかけられた。やっと私の存在が認められた瞬間である。人間ではなくて、障害物として。


 ふと気付いた。スペイン語がしゃべれなくても、ボディ・ランゲージは世界共通語じゃん? そう。私はピンクレディの振り付けに夢中になるあまり、すっかり地下にあるというクルージングスペースの存在を忘れていた。人が多すぎるとかえって友人知人の目が気になるのか、端にある階段から下りていく人は少なかったのだ。
 ビールを片手に階下の洞穴へと向かってみる。10畳ほどだろうか。照明は消されていて、灯りは流れているベア系ビデオだけだ。バー部分ほどではないが、人は多い。絡んでいるカップルは三組。それこそスペインに来るきっかけとなった、イケ熊同士だ。まるでネット画像やビデオから抜け出たようにペッティングしている彼らは、絡んでいるというよりも、ブスに見せびらかすようにイチャイチャしているという感じ。常連まるだしで話しているのは微妙熊たち。そして、その間を縫うようにブスがお酒片手に虚しくウロウロと徘徊……。ここでも明確なカースト制が……。
 ふと気が付くと、人はまばらになっていた。寒々しいハッテン空間の片隅で私はヨダレを垂らしながら寝入っていた。ワインを1本空けた後のビール2本で、すっかり熟睡してしまっていたのだ。ちんぽと乳首とアヌスをチェック。当然、誰からも手を出された痕跡はない。
 酔いと寝起きでよろめきながら私は店を出た。日本のゲイバーならいくらほっとかれても最後に「おあいそお願いします」「ありがとうございました」の会話ぐらいはあるのだが、ここはキャッシュ・オン・デリバリー制なのでそれもない。3時間の滞在で私が交わした会話は、「ビールちょうだい」「お前どけ」だけだった。


 午前2時のチュエカは、イカホモを主体とした人の群れでまだまだ賑やか。そんな中、「人生経験……」とつぶやきながら宿へと千鳥足で向かう私だった。